2015年11月27日 (金)

高江 辺野古 沖縄支援行動に参加して ひろしま女性9条の会48名

 22日 2日目

    昨日、急に熱が出て夕食もそこそこにホテルで休みました。今日は、普天間基地や嘉手納基地に行った後、高江に行く予定でした。普天間基地が望めるか数の高台も言ったことがあるので、バスの中で休ませてもらい、午後の高江にどうしても行きたいと思っていました。なんとか、休んだせいもあってか、高江に行けました。

  高江では、伊佐さんの奥さんである伊佐育子さんが待っていてくださり、テントのなかでしっかり、お話を伺うことが出来ました。

 高江ってどんなところ

  沖縄本島の豊かな森に囲まれた地域をやんばる(山原)といいます。

  世界的に貴重な生物多様性の宝庫

  やんばるには1000種以上の高等植物や5000種以上の動物がくらしているところ。

  世界自然遺産の候補リストに挙がっています。しかし、米軍基地の存在が大きな障壁と      なっています。

  伊佐さんは30年前にこの地にお嫁に来て、この自然豊かな高江で子育てをしてきました。

 

高江 辺野古の沖縄支援に参加  ひろしま女性9条の会48名

  11月21日から23日までの3日間 女性9条の会ひろしま主催

        沖縄高江 辺野古支援行動に参加しました。

21日 1日目はひめゆりの塔の南部コースと那覇市内の不屈館と対馬丸資料館コースに分かれました。わたしはまだ行ったことのない那覇市内の不屈館と対馬丸資料館コースに行きました。

 最初に対馬丸記念館へ  わすれないよ対馬丸事件を

  コンクリートの船に見立てた2階建ての小さな建物、中に入ると対馬丸事件がわかりやすく示されています。映像コーナーや生存者の証言をきくビデオコーナー、犠牲になった一人ひとりの遺影が展示されています。この事件について、名前ぐらいしか知らなかった私にとって、ショックであると同時に、いままで知らなかったことを心から詫びたい気持ちになりました。

 昭和19年、終戦の前年の8月21日、学童集団疎開の子どもたちをたくさん乗せて他の2隻と一緒に、那覇港を出航し鹿児島に向かいました。しかし、すでに海は戦場でした。対馬丸は翌22日夜10時過ぎ、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃によって沈められた事件です。乗船者1788名のうち8割の人々が犠牲となりました。そのうち学童犠牲者は775名と記録されています。

 対馬丸ら3隻には2隻の護衛艦がついていたこと、対馬丸が沈んだとき、護衛艦は救助もせず、去っていったこと、やっと井かだにのって漂流し生き残った生存者の証言をビデオでなまなましく聞くことが出来る。やっと生き残ったのにこの事件については口外するなと口止めされたことが被害者をさらに苦しめてきたこと。

 対馬丸の悲劇は沖縄の戦争のほんの一部に過ぎません。戦争とこどもを語るとき決して忘れてはいけない事件です。

  瀬長亀次郎と民衆資料 不屈館

  沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現を目指して命懸けで闘った、瀬長亀次郎が残した膨大な資料を中心に、沖縄の民衆の闘いを後世に伝いようとっ設立された資料館です。沖縄の戦後史、特に米軍統治下の沖縄で、沖縄県民の不屈の闘いの中心にいたのが瀬長亀次郎である。

  25歳 労働争議を指導中、治安維持法違反で懲役3年の刑を受ける。

  29歳 沖縄朝日新聞記者

  39歳 うるま新報 現琉球新報 社長に就任。

  40歳 沖縄人民党創立

      米占領軍が琉球政府を設立、立法院議員選挙で最高点で当選。

  49歳 那覇市長選に当選。

  62歳 世界平和評議委員会から日本人として初めてのジョリオ・キュリー章を受賞

  63歳 戦後初の国政参加選挙で衆議院委員に当選。

  65歳 戦後27年目で沖縄返還を実現。

              弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ   

                 「不屈」の精神は今も沖縄の人々の中に生 き続けている。

  ここの館長さんが瀬長亀次郎の娘さんです。

 

 

 

 

 

 

 

2015年7月28日 (火)

戦後70年、憲法が輝く ホンモノの地方自治を学ぶ 第 57回自治体学校

7月25日から27日の3日間 

  第57回自治体学校in金沢 久しぶりに参加しました。(市議団から3人)

 今年のテーマは「戦後70年、憲法が輝くホンモノの地方自治を学ぶ」安倍政権が日本を戦争する国にするために戦争法案を今国会でなんとしても強行しようとする中での自治体学校です。 1日目の全体会では宮本憲一の講演とパネルデスカッション

  戦後最大の危機の中にある憲法と地方自治

  この間小泉内閣と安倍一時内閣による構造改革と憲法・地方自治破壊 

   3位一体改革と市町村合併の強行で地域の衰退明確になったこと、

  新自由主義的構造改革の推進に対して、小さくても輝く自治体フォーラム運動、市町村合併をめぐる住民投票運動、9条の会の広がりの中で事項政権は崩壊した。第2次安倍内閣では富国強兵国家を目指し、改作会見から違憲の安保関連法案のごり押し、さらに名文改憲を準備している。国土形成計画におけるコンパクトエンドネットワーク構想打ち出し、新たに、「地方創生」が打ち出されている。こうした流れに対し、地方自治と平和の破壊を許さない闘いが必要となる。 

     2日は分科会

     3日目は特別講演 世界農業遺産「能登の里山里海」と地域再生 をテーマに

           講師は中村浩二 金沢大学特認教授

    2日目の分科会では 8分科会で「災害多発時代の防災、減災対策」では昨年の

       8.20広島土石流災害についての報告をしました。

 

 

 

 

2015年7月12日 (日)

戦争法案反対広島集会に4500人が参加 この声届け!

  712戦争法案反対の広島集会が中区の中央公園で行われ、4500人が参加しました。3000人目標を大きく上回る参加者に、よかったの声が上がります。私たちは、最後から2番目の梯団だったので、なかなか公園からスタートできず、かなり待ちました。2015


712_2 雨は少しぱらついたぐらいで何とか最後まで持ちました。戦争法案反対のコールをしながら白神神社まで歩きました。

 15日にも安倍政権が採決強行しそうだという中での集会、みんなのシュプレヒコールにも力が入ります。「ちょっと待て、ちょっと待て安倍政権、戦争立法なんですか?」という楽しいこコールもあり、最後まで、楽しく歩けました。みなさん、お疲れ様でした。必ず止めよう!

2015年7月 8日 (水)

7月7日 七夕ウォーク今年も参加しました。

 高齢者の願いを毎年本通りを歩いてアピールする七夕ウォークを県の高齢者連絡会の呼びかけで行っています。P7072084_2

 今年は議員として、一緒に歩きました。特に、安倍政権が来週にでも戦争法の採決を強行しようという中での行動です。雨にもかかわらず、90名近い方が袋町公園から京口門公園までを歩きました。うなずきながら見ていく人もいました。7月12日には中央公園で大きな集会も予定されています。世論で、戦争法を廃案にさせましょう。

 

6月議会報告

4年ぶりの市議会に戻って Hujii

 市長も議会も被爆地ヒロシマの役割果たさず!

 松井市長は今期の所信表明で、「世界に誇れる広島市」にすることを一番強調され、そのために、周辺市町との連携を強め、都市基盤整備強化、と事業の選択と集中、「今後、広島市を州都にすることを視野に入れた市政を目指す」ことを明らかにされた。世界に誇れるというのなら、子どもの医療費助成が政令市の中で一番最低になっていることを一番に拡充すべきなのに・・結局、福祉や子育ては後回しの表明でもありました。

 一般質問では、中森辰一議員が安保関連法案 (戦争法)について、違憲性を指摘し、被爆地ヒロシマの市長をして反対を表明すべきではないかと迫りましたが、結局、市民局長が、国会議員の審議を見守ると答弁しただけで、市長自らは答弁を避けました。

 最終日の26日、政府と国会に対して、他の会派から「戦争法案の慎重審議を求める」意見書案が出された。日本共産党は「戦争法案の廃案、撤回を求める意見書も用意していたが、広く協同を呼びかける立場で、この意見書案に賛成の討論を行いました。

 結局、賛成は14、反対が39で否決されました。「戦争さえなかったら」という、多くの被爆者市民の思いにこたえられない市長と市議会であることを露呈しました。本当に残念です。世論で戦争法廃案にさせるまで追い込んでいきましょう。

 松井市政2期目初の議会、松井市長の思いが入った補正予算案60事業のうち新規40事業、が各委員会で審議されました。

 私は建設委員会で、災害の被災者支援と復興ビジョン、高速5号線関連の補正予算について質問しました。議案外ではかき船移転問題を質問しました。

 

2015年3月19日 (木)

2014年9月14日 (日)

8・20広島豪雨土砂災害 記録①

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 8月19日の夜、西区で会議を終えたのが9時過ぎ、ひどい雷の中とにかく帰らなければと稲光と雨が激しく降る中、車で安佐南区の自宅に向かった。30分かけて家についたころには雷は収まるだろうと思っていたけど、収まるどころかますますひどく、結局一晩中雷と雨がひどかった。この長さに異常さを感じました。

 20日朝6時過ぎ目が覚め、テレビにニュースでは山本の土砂災害と八木3丁目の土石流現場を報道し始めていました。「これは大変なことになった」と思っていたら、安佐北区のUさんから安佐南区の八木8丁目の親の家が、浸水し始めている土嚢を持ってきてほしいとの電話が、事情もよくわからないまま区役所に電話をし現地を見に行ってもらうよう連絡をする。

  八木8丁目に引っ越したばかりのつくださんに電話をすると「外に出られない。家の前が川になってがれきがいっぱいで動けない」 緑井7丁目のOさんの家も大変なことになっているとメールが届く。広域にわたって何か所が土砂災害が起こっていることだけはわかった。

 8時過ぎ、市議の近松さんと安佐南区役所で合流し、災害対策本部で被害の情報を得て、緑井小と佐東公民館に向かう。緑井小では緑井7丁目のOさん夫妻に合うことができよかった。

 とにかくつくださんがいる緑井8丁目に行って、現地を実際にみてあまりのひどさに驚く。上の方まであるいてみると大きな岩と車が重なり合い、道路が壊され、川となり、両脇のある家が無残にも壊されていました。 Dsc00858


                

 

 4時から日本共産党の県の災害対策本部が立ち上げられることになり。県委員会に向かう。明日、あさ、仁比そうへい参議院議員が広島の災害現場に調査に入るとの連絡を聞く。

2014年8月 4日 (月)

「核抑止力論の放棄を強く求める」原水爆禁止2014年世界大会 開会総会

8月4日 原水爆禁止2014年世界大会  開会総会

   「核抑止論」の放棄を強く要求する。Dsc00830_5

 はじめに、国際会議宣言が報告された。

  報告では、核兵器禁止条約が国際政治の焦点となりつつあるにもかかわらず、1部の核保有国は、核抑止論に固執し、核兵器廃絶の実現を正面から議論するとに反対している。

 「核抑止」政策は、意図的であれ、偶発的であれ、、核戦争を引き起こす危険を増大させる。我々は、「核抑止力論」の放棄を強く要求する。


核抑止力論に固執し、非人道的な核兵器を保持し続けることは、1片の道理も道義もない。このことを徹底して明らかにし、核兵器禁止条約の交渉開始を要求する世論をさらに広げようと呼びかけた。

 

 海外代表も発言

  韓国のイ・テホ さん 北東アジアを非核地帯に、共通財産である平和憲法を守ろうと呼びかけた。

 

 フィリッピン のコラソンさんは あらたなアメリカとの条約が締結され、国家の主権が脅かされている。国家主権をまもるために頑張っている。命どう宝は共通の絆。

 国内からは、岡山 福島代表が発言。福島から被災者ほっておいて、安倍首相が九州電力会社の社長に、川内原発は何とかするからと発言したことに対して、何とかすべきは福島だと怒りの発言に共感の拍手が鳴り響いた。

 

 明日は 分科会 8 核兵器と原発 に参加して学習します。

 

2014年8月 3日 (日)

雨の中57回目の平和行進 通し行進者の人と一緒に

毎年8月3日は平和行進富山コースが安佐南区役所から新庄橋間を歩く日です。

 雨でもそれほどひどい雨に合うことなく、かんかん照りの日より楽に歩けまDsc00821した。約100名元気にコールを上げながら歩きました。今回は、北海道から歩かれた山口さんや京都から参加された久永さんの元気さに逆に励まされ、参加者みんなが元気をもらいました。今回は盲導犬も一緒に参加された方も最後まで歩かれました。

 途中、安神社では去年に続いて宮司さんが被爆当時の様子を語ってくださいました。みな水をくれといって亡くなって行かれた様子など語りながら、戦争はいけないと参加者を励ましてくださいました。

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«集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議の一斉宣伝!広島医療生協主催