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2015年11月27日 (金)

高江 辺野古の沖縄支援に参加  ひろしま女性9条の会48名

  11月21日から23日までの3日間 女性9条の会ひろしま主催

        沖縄高江 辺野古支援行動に参加しました。

21日 1日目はひめゆりの塔の南部コースと那覇市内の不屈館と対馬丸資料館コースに分かれました。わたしはまだ行ったことのない那覇市内の不屈館と対馬丸資料館コースに行きました。

 最初に対馬丸記念館へ  わすれないよ対馬丸事件を

  コンクリートの船に見立てた2階建ての小さな建物、中に入ると対馬丸事件がわかりやすく示されています。映像コーナーや生存者の証言をきくビデオコーナー、犠牲になった一人ひとりの遺影が展示されています。この事件について、名前ぐらいしか知らなかった私にとって、ショックであると同時に、いままで知らなかったことを心から詫びたい気持ちになりました。

 昭和19年、終戦の前年の8月21日、学童集団疎開の子どもたちをたくさん乗せて他の2隻と一緒に、那覇港を出航し鹿児島に向かいました。しかし、すでに海は戦場でした。対馬丸は翌22日夜10時過ぎ、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃によって沈められた事件です。乗船者1788名のうち8割の人々が犠牲となりました。そのうち学童犠牲者は775名と記録されています。

 対馬丸ら3隻には2隻の護衛艦がついていたこと、対馬丸が沈んだとき、護衛艦は救助もせず、去っていったこと、やっと井かだにのって漂流し生き残った生存者の証言をビデオでなまなましく聞くことが出来る。やっと生き残ったのにこの事件については口外するなと口止めされたことが被害者をさらに苦しめてきたこと。

 対馬丸の悲劇は沖縄の戦争のほんの一部に過ぎません。戦争とこどもを語るとき決して忘れてはいけない事件です。

  瀬長亀次郎と民衆資料 不屈館

  沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現を目指して命懸けで闘った、瀬長亀次郎が残した膨大な資料を中心に、沖縄の民衆の闘いを後世に伝いようとっ設立された資料館です。沖縄の戦後史、特に米軍統治下の沖縄で、沖縄県民の不屈の闘いの中心にいたのが瀬長亀次郎である。

  25歳 労働争議を指導中、治安維持法違反で懲役3年の刑を受ける。

  29歳 沖縄朝日新聞記者

  39歳 うるま新報 現琉球新報 社長に就任。

  40歳 沖縄人民党創立

      米占領軍が琉球政府を設立、立法院議員選挙で最高点で当選。

  49歳 那覇市長選に当選。

  62歳 世界平和評議委員会から日本人として初めてのジョリオ・キュリー章を受賞

  63歳 戦後初の国政参加選挙で衆議院委員に当選。

  65歳 戦後27年目で沖縄返還を実現。

              弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ   

                 「不屈」の精神は今も沖縄の人々の中に生 き続けている。

  ここの館長さんが瀬長亀次郎の娘さんです。

 

 

 

 

 

 

 

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